援助先からの手紙

2016年 シスター川上からのお便り

ペルーで加藤神父を助けていらっしゃる、Sr.川上から現状を伝えるメールが届きました

憩いの家の近況報告です。

2008年度から私が責任を取って管理面の仕事をさせて頂いておりますが、この間2回にわたって 2009年と2012年に利用者の月額費用を10%ほど保護者総会をして決めましたが半数ほどが反対したり支払いの難しさを訴えたりして、関係者はとても心を痛めながらも決定しました。

 

その度に8名から11名の入居者が退所しています。昨年の10月にも理事会で10%の値上げが叫ばれたのですが、これまでの経緯と現在の利用者とその保護者の現状を訴えてその場は一応現状維持となって今日まできています。33名の利用者中入院している2名を含め、これから年ごと、月ごとに老いや体調が落ちて行く利用者にかかわっていて、本当に心配は日増しに大きくなっていくばかりです。職員への最低給料はどうにかやりくりできても、7月と12月のボーナスをどうやって工面するのかも大きな課題です。そのためにも一定の月額費用を払えない方々への援助金が不可欠になっているのです。昨年から支払いが滞っていて、その保護者との連絡が取れなくなっている方も3名ほど増えています。その他にも一定の金額を支払えない人や半額になっている人も6名ほどいます。

 

このホームに元気で入居して今は80代にはいり、車椅子利用者となっている上食事介助者の数も9名になっています。

 

つい先週も96歳で一世のおばあちゃんの件で集まりを持ったのですが、1か月や2か月の話ではないからこの際他の施設への移動をと迫られ…まさか他の施設へ移すような話になるなどとは夢にも思っていなかったので、すごいショックでした。

 

今まで4年間もこのホームで生活してきたおばあちゃんを他の無料施設へ送り出すことは、私の良心と修道者としての良識からも、ましてや50年もの間南米宣教者として生きてきた私としては絶対に出来ない決定です、と願い倒し他の方法を考えさせてくださいと言って集まりは終わりました。去年の7月の猛暑日に川崎市まで一人息子さんを訪ねて歩きまわった日のことが、まるで昨日のことのように思い出されます。みすぼらしいアパートで、表札は見つけたのです。周囲の門をたたいて聞こうと試みても、ただ冷たく知りません分かりませんと断られてむなしく帰ってきました。100年前に移住してきた日本人の中に、成功している人も多々いますが、娘や息子さんが日本へ出稼ぎに行き、何十年のもの間には音信不通になったり家庭崩壊に至ったりしているケースも少なくありません。

 

このおばあちゃんには、息子さんに会えなかったことは話してありません。日本財団やJOMASその他の善意ある方々からの寄付で砂漠の中にすばらしい建物が並んでいますが、その運営には本当に頭を痛めています。建物も15年前に建設されたもので、建築中の手抜き工事もあり、水道、電気、下水その他での維持費もバカになりません。毎日毎日何かの修理が必要になっているのが現状です。男性職員で電気、水道下水関係の仕事に通じた人を見つけたのですが、そんな仕事が出来る人には最低給料では働いてもらえないので、その面でも理事会でお願いしたり、リマ市内の恩人へ頼みに行きたいと思っています。どんなに善意をもってがんばっていても、お金でしか解決できない問題には皆様に頼るしか方法がありませんので、今後ともよろしくお願い致します。

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