JOMASが、継続援助しておりますペルーの日系老人ホーム、それ以前に援助をしておりました、エンマヌエルホームや診療所について、加藤神父からご報告がありました。
JOMASも関わりました3つの事業について今に至るまでが書かれています。(今年の申請分はこちら→)
皆様の寛大な援助で開始した、子どもホーム、診療所、日系人の老人ホームの3つの事業は、25年間に渡る皆様のご協力により順調に運営されています。
最盛期には100人の子どもを預かっていた子どものホームは今年30周年を迎えました。預かっている子どものほとんどが崩壊した貧しい家庭の子どもです。子どもたちは18歳でホームを卒業することから、手に職をつけることができるよう、技術習得のための畑、飼育所、靴の修理場、美容室、レストラン、パン製造工場、コンピュータ教室を徐々に設置しました。また将来家庭を築く子どもたちに家庭は主に両親の手により生計を維持しなければならないことを実地で教育しようと考え、そのためのモデルホーム、そのほか黙想の家及び保育所を設け、数年間順調に運営を行っておりました。しかしながら、当事業の運営を担っていたペルーの女子修道会が会員の高齢化と新会員の不足からこれらの事業を実現できなくなってしまい、最後は黙想の家と保育所を残し他の事業は残念ながら全て中止に至りました。
これらの事業はもともと教会の事業として始めたものでしたので、エンマヌエル協会は事業を運営していた女子修道会の会長に、司教区に事業を譲りメンバーの揃った修道会に事業の運営を担わせるようお願いしておりました。数年間の交渉の努力の結果、本年度5月16日正式に福祉事業を司教区に譲り、司教区に所属する多様な専門性を備えた40人のボランティアの中から選ばれた8人のボランティアが、現在副司教の下でホームの運営を行っております。ただし、司教区の全人口の半分以上が貧しいスラム街に住む人であることから、当分は福祉事業運営のためエンマヌエル協会が経済的に援助しなければなりません。
エンマヌエルホームがある地域は昔、砂漠地帯であり、ホームを設立した当初は人口2~3千人の地域でした。この貧しい地区をホームの設立場所として選んだ理由はストリートチルドレンが多く住んでいたからです。地域から近い病院は5㎞も離れていましたのでこのホームの一角に小さな診療所を設けました。しかし1985年から10年間、テロ活動が山岳地帯で起こって、テロによる危険から逃れるため山から海辺へ、特にリマの私たちの地域の砂漠地帯に人々が移住してきたので、現在この地区には最低でも50万人が居住しています。
当時、エンマヌエルホームが属する区役所区域での唯一の社会事業は私たちのホームでしたので、事業拡張のために当時の区長がホームの近くにある三千坪の土地を寄付してくださいました。
その後、診療所を訪れる患者の増加に迫られ、診療所拡張のため、贈与された三千坪の内、千坪を利用いて1400㎡の二階建ての新診療所を日本からの援助で建設しました。また日本大使館の無償援助で医療器具を用意し、現在ほとんどの診療科を揃えております。当診療所の問題の一つはリマの中心から50㎞離れた郊外の元砂漠地帯だった所にある事で、毎日バスの送迎が必要です。当診療所には20人の日系人医師を含む60人の医師が、週1日から2日、献身的に通って診察して下さっています。
現在、この広い地区に私たちの診療所を含め7つの診療所がありますが、医療器具が揃っていることと、医師たちの診察が丁寧であるおかげで、エンマヌエル診療所には毎日350人から400人、時には500人の方が診察に訪れています。
老人ホームは13年前、日本財団の会長が曽野綾子先生であった時に同財団の援助でほとんど建設されたといっても過言ではありません。当老人ホームには現在43人の男女の高齢者が居住しており、日本のイエスのカリタス修道会の二人のシスターの下で37人の職員が献身的に働いています。入居者の日課は午前の日系人医師による診察の後、広いリハビリ室で先生の指導を受けて様々な訓練を行うことです。また毎日午後からの2、3人の日系人ご婦人によるビンゴ、ゲートボールの練習などのレクリエーションも盛んです。さらに行事の1つとして毎月、誕生会が行われ、バスでの見学や遠足なども行っています。傍らで見ている私は本当に責任者のシスター方、職人とボランティアの方々の苦労を親身に感じます。
今年の3月1日で87歳の秋を迎えた私はこの3つの事業をエンマヌエル協会の幹部の方々、特に3つの事業はそれぞれの責任者と職員に全てを任せています。私の仕事は神様にお祈りを通じて彼らを見守って下さる様お願いすること、また皆様に、皆様の援助がどのように生かされているかご報告すると同時に心からの感謝を申し上げることであります。
2013年7月23日
加藤マヌエル神父