2017年11月、ネパールに行ってきました。ネパールではシスター金谷たちが幼児教育を含む教育事業に長年尽力され、JOMASはそのご活動を支援しています。今回はバンディプルとカトマンドゥの保育施設を視察する機会をいただきました。
話を進める前に簡単に自己紹介を致します。
私は民間企業に勤める会社員で、2012年よりJOMASホームページ更新のお手伝いをしています。今回は有給休暇を取得し、JOMASの昔からの原則通り自費で行ってきました。
シスター金谷の活動拠点は「バンディプル(「バンディプール」とも)」という町で、ヒマラヤの眺望の素晴らしさで知られています。また古き良き時代の面影が街並みに残っていることなどから、近年は観光地として人気が高まってきているようです。私の滞在中も、欧米や中国からの観光客と思しき人たちを毎日見かけました。
バンディプルは18世紀から19世紀にかけて、インドとチベットを結ぶ交易の要衝として発展し栄えていましたが、1970年代にカトマンドゥからポカラを結ぶ自動車道が開通すると、人々はバンディプルを素通りしてしまうようになり、衰退していったのだそうです。しかしそのおかげで古い町並みが残され、最近では却ってその景観に価値ありということで、再び賑わいを取り戻しつつあるというところのようでした。
ネパールといえば、2015年の大地震を思い出す方が多いかもしれません。バンディプルでも家が倒壊するなど大変な事態となり、JOMASのウェブサイトでもシスター金谷からのお手紙でその様子を掲載しましたが、幸いこの地震による死傷者は一人もいなかったとのことでした。私が行った頃は地震による生々しい爪痕はあまり目につかず、建設現場が地震被害の修復か普通の工事かわからないくらいでした。
シスター金谷を含む4人のシスターたちは、1980年代に日本からネパールに派遣されて学校を作り経営してきました。
と文章に書くのは簡単ですが、並大抵のご苦労ではなかったことと推察します。学校なんて何をどうしたら作れるのか(しかも外国で!)。プロジェクトを考え教員等の人を集め動いてもらうだけでもいかにも大変そうな上に、現在に至るまで生徒数を増やしながら学校経営を続けてこられたというのだから、私は感嘆しながら尊敬の念を抱く以外にありませんでした。
学校の近くには、シスターたちがバンディプルで活動を始めた頃に使っていた建物が、まだ学生寮として使われていました。ネパールの伝統的な造りの建物で、30年余り前にはシスターたちの住居としても使っていたそうで、思い出も思い入れもたくさんあるようでした。
その隣には別棟で新しめの寮があります。新旧どちらの寮でも、学生たちが勉強していました!学校から寮に戻ったら、漫画を読んだりゲームやスマホで遊んだりするのではなく、勉強しているのです。部活動もせず、外で遊ぶか家で本を読むかだった自分の高校時代と比較するまでもなく、実に頼もしい。これからのネパールをしっかり支える人材が、ここでも育っているのですね。
バンディプルの街をシスター金谷と一緒に歩くと、すれ違う人の多くが「ナマステ、シスター」「シスター、ナマステ」と手を合わせて挨拶していきます。もしかしたらシスター金谷はバンディプル一顔が広い人かもしれません。中には学校の卒業生やその保護者もいて、近況を教えてくれたりします。篤志家の支援を受けて、海外の大学医学部への留学が決まったという学生もいました。彼の家はとても貧しく、学費を払えない期間も随分あり、学費の取り立てが来ると居留守を使って逃れたこともあったそうですが、シスター方の配慮や善意の支援で、彼の進む道は大きく開かれたのだと思いました。
シスターたちは保育園も経営なさっています。というより、幼児教育にこそ一層力を注がれてきたと言うべきかもしれません。
セトグラス保育園は、バンディプルの中心部から少し離れた、貧しい人たちの多く住むエリアにあり、ここに子供を通わせる家庭の多くは、誰かの畑を手伝う等の簡単な仕事を得て生計を立てているそうです。以前子供のいる家庭では、日中に大人が働きに出てしまうと子供だけで家で過ごすことになり、言葉や様々な概念を覚える大事な時期に適切な教育を受けられないケースが多くあったそうです。文字を知らず、また「赤」や「青」といった色の名前も知らないで成長してしまうと、就職の際には不利になり、両親と同じような簡単な仕事をする他なく、貧困の連鎖が続きます。
また、大人の目が届かない中で大けがをして障害が残ったり、悪くすれば死んでしまったり、という悲惨なケースもあるそうです。
そのような貧しい家庭の子供を預かり、親が安心して働きに出られるようにと設立されたのが「セトグラス保育園」でした。ここでは子供が年齢に合った教育を受けられる上、同年代の子供たちと遊ぶことで社会性も身に付けていけます。学校に入る前の準備ができるのです。
シスター金谷たちがこのセトグラス保育園を始めた頃、ネパールでは幼児教育はほとんど行われていなかったそうですが、シスターたちが幼児教育に携わる人の育成も含めて草の根的に地道に活動を続けるうちに、だんだんと幼児教育の重要性についての認識も高まり、今では国をあげて幼児教育にも力を入れていこうという流れになってきているようです。
セトグラス保育園
ピースプロジェクト
セトグラス保育園に通う子供たちより、さらに貧しい家庭の子たちを預かる、小規模な保育園3か所を見学しました。保育園での子供たちは楽しそうで、保育園に来れば食事が出て栄養も摂れるし、日々色々なことを教えてくれる先生がいて、事故のないよう見守ってもくれます。
何か所かで、子供たちが音楽と歌に合わせて踊りを披露してくれました。先生たちが太鼓を叩き、歌い、子供たちは歌いながら踊る。子供たちはこの体験を通じて、言葉、楽器の音、伝統的な歌・音楽、体の動かし方、リズム感、様々なことを会得するのでしょう。
家で子供だけで過ごしていてはできない体験がたくさんあります。親御さんたちがここに来させ続けてくれますようにと願いました。
バンディプルのセトグラス保育園の門は、ちょうど標高約1000mのところにあります。11月でも日差しが強く、日中は半そででも坂を上ればすぐに汗をかくほど。でも日陰や朝夕は涼しく、過ごしやすい気候でした。
「ネパール?寒そう」と思う人は多いかもしれませんが、ヒマラヤの標高が高い場所は例外として、基本的には暑い国なのではないかと思います。ちなみに、ネパールの緯度は鹿児島から沖縄あたりと同程度です。
今回はバンディプル以外にポカラやカトマンドゥに少し立ち寄りましたが、どこへ行っても色々な意味で面白い、魅力的な国でした。子供や若者が多く、活気があり、これからどんどん発展していくのだろうと思います。保育園や学校で遊び学んでいた子供たちの将来が、皆様のご支援を受け一層開けていくことを願いつつ。