カメルーンにシスター末吉をお訪ねし

頸椎を痛め、治療のために日本に帰って居られたシスター末吉が、3月中旬には又派遣地カメルーンに戻られ、幸いなことにカメルーンを訪問していた私は、派遣地で活躍される修道女の現地でのお働きに初めて接する幸いを得ました。

首都ヤウンデから車で南東に10時間の道のりを行った所に彼女が18年間携わって来られたミンドウーリという村がありました。ヤウンデの郊外に差し掛かるころ、製糖会社、膨大な広さの砂糖キビ畑が延々と続き、一本道の凄まじいでこぼこ道に入りました。

この道を4輪駆動車を運転して往き来すれば頸椎を痛められるのは当然と思う悪路で、所々に道を整備する中国製のトラクターが放置されていました。

そこを何本も大木を積み込んだすごいトラックが砂塵を飛ばして何台も行き交うのです。

政府公認の伐採されたこれらの材木の行き先はヨーロッパと聞かされて、心穏やかではありませんでした。

しばらくして優しい美しい木々の森にさしかかり何軒か原始的な家を通り過ぎた所で車が止まりました。少し歩いて行くと学期末試験を終えて明日からお休みというピグミー族の子供達が私達を待っていてくれました。
一生懸命準備していたのでしょう?歌って踊っての大歓迎!!いつの間にか現れた酋長に敬意を表しながら教室に入りました。

小学校低学年の2つのクラスがある学校です。この小学校はSr.末吉が最初に建てられた学校で、現在までの色々のご苦労を話して下さいました。その地域はカコ族という勢力の強い部族が支配している地域で、隣接してピグミーの子供達が小学校へ通えるか?大きな疑問がありながらも試行錯誤の末建てられたそうです。ピグミー族は狩猟部族でカコ族や他の部族から軽蔑されています。当初はいじめやいやがらせがあり、子供達は何度ピグミ―の森に逃げ帰ったかしれません。子供達だけではなく、雇った先生まで授業をほったらかして帰ってしまうことも度々あり、どんな授業をしたか克明に毎日の授業内容をノートで報告して貰うようにしました。最近はお互いに信頼し合い安心して学校を任せる事が出来るまでになりました。勉強の嫌いな子、親が学校教育の意味を理解しないこと等幾つもの挑戦がまだありますが、今年初めて、森の小学校を終えてミンドウーリの高校過程を終えた卒業生を持つことが出来て私達の大きな慰めになっていますと話して下さいました。

車に乗ってやっとSr.末吉の修道院に到着しました。

何カ月振りに帰って来たシスターをお花を手に沢山の子供達が「お帰りなさい」と挨拶にやって来ました。

そして近所の奥さん達もーーーー

このミンドウーリにJOMASはピグミーの子供達の高校へ行くための寮と白百合学園の幼稚園の園舎を建てる援助を曽野綾子氏の時代に提供しています。事実10年前に曽野氏と研修の目的で若いお役人が多人数ここを訪れた経緯があります。寮を訪ね、幼稚園を訪ねシスターの着実なお働きでこの地で子供達がモンテッソーリの教育を受け、森の世界がすべてであったピグミー族の人達に現代社会の扉を開かれた功績は多大なものであることを実感させられました。

▼JOMASによって建てられたピグミーの学生寮(中学生用)

▼モンテッソーリの教育をしている白百合の幼稚園

発電機の故障で懐中電灯の明かりで頂いた夕食、続いて真っ暗闇の中で踊ってくれた寮生のエネルギッシュな踊りにアフリカの夜を満喫しました。


時間制限で訪れることのできなかった森の中のもう2つの学校は他の機会にSr.末吉ご自身からご紹介頂くことを期待しております。

毎朝教室から何匹も蛇が出てきて困り扉をつけた話など、人間と動物が共存している自然なアフリカをアフリカ人の力でアフリカらしく治めてゆける日が来ますように祈りつつご報告を終わります。

 

シスター兄部 記

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